千年の都・京都を支えてきた保津川

丹波の山中に源を発し、京都や大阪へと流れる保津川(桂川)は、古くより豊かな丹波の木材を筏流しで運ぶ、水運の川でした。特に794年の平安京遷都以降、筏流しはより盛んになり、流域の村々は川湊として大いに栄えました。また、1606年には京都の豪商、角倉了以による保津峡の開削工事が行われ、筏流しだけではなく高瀬舟を使った舟運も始まり、京の都の暮らしを支える物流の大動脈としての役割を果たしてきました。明治時代になって鉄道や道路網が整備されると、荷船は保津峡の峡谷美を楽しむ観光川下りへと姿を変え、歴代の英国王室はじめ世界中から多くの人が訪れるようになります。現在では保津川下りには年間30万人、またかつての国鉄山陰本線の廃線跡を活用した嵯峨野トロッコ列車には年間120万人が訪れる、名実ともに京都を代表する観光地となっています。

明治期の保津川の筏流し
明治期の保津川の筏流し
現在の保津川下り
現在の保津川下り